奇妙な大川主宰との相互仲人

4月10日に大川隆法と木村恭子の結婚式が杉並会館でおこなわれた。

その日まで中原幸枝と私は目まぐるしく動きまわった。

赤坂プリンスホテルでの結納、式場選び、式の手配から主宰夫婦の新居の整えまで、あらゆる準備が私たちに任されていた。

会の仕事も他の幹部と同じようにこなさなければなかったから、その忙しさは大変なものだった。

当日は、会場に80名ほどが集まっただろうか。

新婦の同級生らしい娘さんが四人ほどいた以外は、すべて〈幸福の科学〉の会員だった。

(これは仏陀の結婚式なのだ)

誰もがそう思っていた。

媒酌人として挨拶に立った私の言葉も、そういう全員の思いを代弁していた。

「今、私たちが立ちあっているのは、偉大な魂の再来が挙げる結婚式です。霊性時代のはじまりを告げる式に私たちは臨んでいるのです」

そんなことを私は緊張しながらスピーチした。

シンセサイザーやレーザー光線を駆使した〔御生誕祭〕をご存じの方は、さぞかしハデハデしい演出が施されていただろうと想像するかもしれないが、

結婚式としてはむしろ質素で、新しい時代に向かって運動を起こしていこうとする人々の集いに相応しい張り詰めた空気が漂っていた。

型通りに一通りの式がすむと、30分ほど大川の演説があった。

物の時代はすでに終わった、これからは心の時代である。

そんな話だったように記憶する。

結婚式の後、恭子はすぐに主宰補佐に任じられた。

中原と私の結婚式のほうは2ヶ月後の6月26日に、大川夫妻の媒酌によって、やはり同じ杉並会館でおこなわれた。

複雑な気持ちで中原と夫婦の誓いをした。

ただ一つの救いは、中原の両親がとても喜んでくれたことである。

私は前々から彼女の父親と親しく、ゴルフの趣味も一致していたから一緒にフェアウエイをまわり、ゴルフ談義によく花を咲かせたりしていた。

ご両親にしてみれば40を過ぎて、一生独身かと思っていた娘が、突然結婚すると言いだしたのだから、その喜びはひとしおだっただろう。

このお父さんのことでは、大川が一つの予言をしていた。

「中原さんのお父さんの寿命はもうほとんどない。6月いっぱいもてばいいほうだ。生きているうちに、娘の花嫁姿を見せてあげなさい」

それを聞いていたから、私たちは大いにアセッた。

中原の父親は20年前に直腸ガンで死を宣告されたこともある。

奇跡的に回復したが、そういう過去が大川の予言に真実味を与えていた。

どうにかして6月中に式を挙げなければ、と私たちは思った。

中原も最後の親孝行のつもりだったろう。

ところが、この予言は見事に外れた。

5年後の今もピンピンしていて、毎年100日以上もフェアウエイに出る。

これは、いったいどうしたことか。

しかし会の中では、あのときの予言に触れようとする者は一人もなかった。

稀に外れた予言なら話題にもなる。

しかしことごとく外れては、話のタネにもならないということなのかもしれない。

ところが困ったことに、大川はことのほか予言が好きだった。

何かあると、あいつはどうなる、あれはこんな結果になると口にした。

その予言が全滅に近い。

よく当たったのは経済的な動向だったが、元商社マンの彼にはお手の物だったろう。

にもかかわらず、大川自身は自分の予言能力を信じきっているフシがあった。

後にGLAとのあいだでトラブルが生じたときもそうだった。

大川は、GLAを率いる高橋佳子が間もなく死ぬと予言した。

ケンカ相手の死を予言する幼稚さは、まあ措くとしよう。

それだけなら一種のイヤミと解釈できる。

しかし彼は、佳子の死を本気で信じ、密かに心待ちしていた。

大川に命じられ、新聞の訃報欄に毎日目を通すのが、その頃の私の仕事だったのである。

ところで中原と私の結婚生活はどのようなものだったろうか。

それはまことに奇妙な夫婦だった。

私たちは車庫付きの豪勢なメゾネットタイプの新居に入った。

大川夫妻の住まいより立派なのが気が引けたぐらいの豪華さだった。

断るまでもないと思うが、これは会から提供されたものではもちろんない。

そのメゾネットの一階と二階に別れて、私たちは生活した。

最初に私が予感した通り、セックスのない兄妹のような夫婦生活。

一度もベッドを共にすることなく、それに不満も不自然さも感じなかった。

不自然なのは、そういう二人の関係ではなく、無理やりつくられた夫婦という形だった。

ただ一度だけ、これも大川の「いよいよ関谷さんのところに赤ちゃんが生まれる」という予言で、子どもを産もうかと中原と相談したことがある。

しかしさすがの主宰も、生涯を懸けた中原の生き方までは崩すことができなかった。

もっとも私たちには、普通の夫婦が持つような家庭的時間は、まったくと言っていいほどなかった。

会の仕事に追われ、食事も家でした記憶はあまりない。

夜は夜で、会員のレポート採点が待っている。

〈幸福の科学〉が私たちの生活のすべてだったのである。


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虚業教団

30年間、教勢拡張と集金だけだったカルト。 今尚、植福と称する布施を搾り取られ続ける信者たち。 教祖一家、その愛人たちは、贅沢三昧の日々を送っているというのに。 人間関係は破壊され、家庭も崩壊。 貢ぎ疲れ、極貧生活を強いられる信者たちの 洗脳解除を祈念し、ここに関谷氏の 「虚業教団」をコピーさせて戴きます。

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