読書依存の問題点・・・K会のシミをとる⑥

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K会にいた頃から、私の修行の努力といえば、メインは読書でした。

これはもともとあった傾向ではありますが、K会に入って特に強くなりました。

本を読むことは手放しに賞賛されると思っていましたが、そうではないことに気がつきました。


本の思想に憑依される


本の思想に憑依されることがあるのです。

憑依とは、霊に憑依されるだけではありません。

本の著者の想念や思想にも憑依されます。

しかも憑依されて言っているだけで、本当の自分の思想ではないことに気がつかなくなります。

以前はOR氏の本を読んでいると、何でも分かった気になるので滔々と言いたくなっていましたが、これはまちがいなく思想の憑依であったと思います。

さらに私は、一般的な学問の常識を重視する傾向がありましたが、一般的な学会の主流の意見であっても、それは一つの足かせになることがあります。

カウンセリングとはこうあるべきだという常識的な考えが、逆に自分を縛ってしまい、救済力を減らす場合もあることに気がつくこともあります。

本を読んでも本に読まれるなとは、こういうことを警戒した言葉なのでしょう。


他者への関心が薄れる


もう一つ重要なことは、本ばかり読んでいると、人や自然への関心が希薄になるのです。

私は特に、今、ここで体験していることに注意を払わないで、本にばかり目がいきがちでした。

電車に乗ってもすぐに本を開く習慣がありました。

目の前にどんな人が立っているのか、その人はどんな思いで今いるのかなど、まるで無関心に自分の世界に入りがちでした。

これは関心の欠落を生み、そこから愛の欠乏をもたらしました。

一種の自己中心的な心の状態でした。


逃避としての本依存


本を読んでいると安心する、向上している気がする、煩わしいことを考えないで済むという錯覚と逃避がありました。

特に逃避の最大のものは、本を読んでいると自分の心を見つめることから逃避できるのです。

自分のなかのネガティブな面と対決する、向き合うというのは、とても大変なことです。

それを本を読むことを言い訳に回避しがちであったと反省しています。

本依存は修業とは言えないと思います。

虚業教団

30年間、教勢拡張と集金だけだったカルト。 今尚、植福と称する布施を搾り取られ続ける信者たち。 教祖一家、その愛人たちは、贅沢三昧の日々を送っているというのに。 人間関係は破壊され、家庭も崩壊。 貢ぎ疲れ、極貧生活を強いられる信者たちの 洗脳解除を祈念し、ここに関谷氏の 「虚業教団」をコピーさせて戴きます。

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