職員たちは同窓会名簿や電話帳を丸写しして、どんどん会員登録していったのです。

『週刊新潮』2011.2.24
巨大教団激震!
「大川きょう子総裁夫人」が告解する「幸福の科学」の正体
「フライデー事件」から「離婚劇」まで


私が辿り着いたのは、地獄そのものだった。
「幸福の科学」総裁・大川隆法氏(54)との離婚劇の渦中にいる大川きょう子氏(45)の言葉である。
総裁夫人が「告解」する巨大教団の内情、世上を騒がせた″あの事件″の真相。
そして、間近で見続けた「総裁」の正体とは。


元々、私は宗教というものに興味がありました。

中学生の頃にはもう聖書を読み始めていました。

ただし、教義の中にどうしても躓いてしまう点があったので、洗礼は受けなかった。

キリスト教は、信者でなければ天国には行けないという教えです。

しかし、それを考えながら学校へ行くと、"ああ、この人も天国には行けないのか、この人も、この人も……"と見えてしまう。

それは、私には地獄みたいに見えました。

同級生はみんなそんなに悪い人ではありません。

それなのに、何の罪があって地獄に行かなければいけないのか分からなかった。

そうして私はキリスト教から離れ、最終的に行き着いたのが「幸福の科学」でした。

私は「総裁夫人」として22年もの間、教団を内側から見続けてきました。

もちろん最初は教団に救われた面もあったし、楽しい時代もあった。

しかし、最後に私が辿り着いたのは、地獄そのものだったのです。

* * * * *

大川きょう子氏が"地獄"と表現する「幸福の科学」の現状。

それを象徴するのが、教団の総裁である大川隆法氏との常軌を逸した離婚劇である。

愛する子供にまで「ママには悪魔が入っている」と遠ざけられ、信者向けの講義では"悪妻封印祈願"なるものまで唱和される──。

きょう子氏の苦悩の日々については、本誌記事『「幸福の科学」の不幸すぎる離婚劇 捨てられた「大川きょう子」総裁夫人の嘆き』(2月3日号)で詳報した。

http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-365.html

* * * * *

もちろん表面上は離婚トラブルなのですが、コトの本質はカルト問題なのです。

昨年、総裁は信者向けの霊言「文殊菩薩との対話」を収録し、全国の支部に衛星配信しました。

文殊菩薩は私の守護霊です。

夫婦間のトラブルに守護霊が登場する。

この辺りが一般の方には理解し難いところだとは思いますが、簡単に言うとこういうことです。

総裁に私の守護霊が降臨する。

そうして私の"分身"となった総裁に、教団職員や私の子供たちが質問を投げかける。

それに答える形で総裁の口から出てくる言葉は、私の内心であり潜在意識である、ということです。

もちろん、実際には思ってもいないことが滔々と語られます。

次から次へと醜い言葉が出てくる。

それがお前の本心だ、と言われたら死にたくなります。

「文殊菩薩との対話」を収めたDVDは2本ありますが、私にとって本当に辛かったのは2本目のほうで、そこでは質問者として私の長男と長女が登場しています。

長男の呼びかけに対して、私の"分身"となった総裁はこう言う。

「バカ息子が。あんたのおかけで離婚しそうになってるんじゃないの!」。

長女に対しては、「なんか、あなた、変な存在ね?何、もう、豚面して、何よ……」という具合です。

極め付きは、次のやり取り。

長女に対して、「自殺しといた方がいいよ、もう、ほんとに」と発言。

そして彼女から「逆に、先に、帰天(教団用語で死亡、昇天の意味)されたほうがいいんじゃないですか」と言われるのです。

"私"が娘に自殺しなさいよ、と言っている。

親子で死ね、死ねと罵り合っているのです。

これ、地獄そのものです。

総裁との離婚調停は今年初めに打ち切り、今後は裁判で争っていきます。

一方、こうした霊言での誹膀中傷についても近いうちに名誉毀損で訴える予定定です。

* * * * *

きょう子氏によれば、「霊言」は時に、教団内の人事にも影響を及ぼしたという。

例えば、一昨年9月から昨年4月まで「幸福実現党」の党首を務めた木村智重氏。

彼が党首を降ろされた背景にも「霊言」があった。

* * * * *

いよいよこれから選挙だ、という時に党首を降ろされれば当然、なぜこの時期に、という空気が党・教団内に広がります。

すると教団幹部の元に、総裁が作成した《木村前党首守護霊意見》と題するペーパーが配られました。

《木村じゃ。許せん。絶対に許せん。ワシに恥をかかせおった。ワシはプライドだけで生きている人間じゃ。

(中略)大体、幸福の科学ではワシが一番頭がいいんじゃから、ワシに全権を渡せばいいんじゃ。

(中略)結論は、大川隆法がワシの能力と人望に嫉妬したということだ》。

つまり、木村さんは内心でこのようなことを考えているので党首には相応しくない、というわけです。

教団内では、信者からの人気が出てくると左遷される、と言われていました。

木村さんと同じように「霊言」で責められ、自殺を図った人もいます。

私は今 "外" に出たので総裁の霊言はおかしい、と分かりますが、"中"にいる人は気付かない。

自分たちが地獄にいるということが分からないのです。

一体、いつから幸福の科学はおかしくなってしまったのか。

それを考えるためには、一旦、時計の針を戻す必要があるでしょう。

教団の草創期、私が総裁と出会った頃まで。


初デートでプロポーズ


* * * * *

きょう子氏は1965年、秋田県矢島町(現・由利本荘市)で産婦人科医を営む家に生まれた。

小・中学校では常に成績トップ。

その後、東京の学芸大附属高校から東大文学部に進んだ。

一方、大川隆法氏は徳島県の出身。

地元の進学校から、一浪して東大法学部に進んだ。

卒業後、商社「トーメン」に一旦は就職するも、29歳の時に『日蓮聖人の霊言』などを上梓。

86年、30歳の時にトーメンを退社し、東京・西荻窪に「幸福の科学」事務所を開設して立宗した。

「正しき心の探究」を基本教義とする幸福の科学の本尊は、"至高の神"である「エル・カンターレ」。

教団に君臨する大川隆法氏は「霊天上界におけるエル・カンターレ」そのものとして、信者から信仰される絶対的な存在であり続けている。

* * * * *

私と幸福の科学の出会いは87年、大学4年生の時です。

87年といえば、教団が出来た翌年。

まさに草創期にあったと言えます。

私が元々宗教に興味があったということはすでに触れました。

私には兄がいます。

両親は、兄がダメだった場合、私を医者にしよう、と期待していた。

その期待に応えようと私は猛勉強を続けましたが心の安らぎはなく、それで手に取ったのが聖書だった。

しかし高校生の時にキリスト教からは離れ、同じ頃、兄が医学部に合格し、私はプレッシャーから解放されました。

だから大学時代は普通にキャンパスライフを楽しんでいました。

で、87年。

私はすでに外資の金融機関から内定をもらっていました。

そんな時、本屋で総裁の本に巡り合った。

そこでは、霊界の様子や死後の世界がありありと描かれ、私の心に響きました。

2カ月で10冊ほど読み、すぐに入会の申し込みをした。

そして、週に1回、西荻窪の事務所でボランティアをするようになったのです。

セミナーなどにも参加するうち、困ったことが起こるようになりました。

必要以上に敏感に人の感情を感じてしまうのです。

それを総裁に相談したら「できるだけ動じないほうがいい」とアドバイスしてくれました。

その後、総裁のほうから「もう一度会いたい」と電話があり、87年の12月、渋谷のハチ公前で待ち合わせをした。

それが総裁との初デートで、その時にプロポーズされたのです。

その日、総裁は「西友」あたりで売っていそうなセーターと紺のズボンという、あまりおしゃれとはいえない姿で現れました。

そして、代々木公園の辺りを散歩し、ふらりと入った喫茶店で「あなたが私の結婚相手だという霊示を受けている」と言われました。

それに対して私は「私もそうだと思う」と答えた。

結婚の申し出を了承したのです。

初デートでのブロポーズを即了承するなんて、と思われるかもしれません。

しかし、当時の私は人の怒りを感じただけで頭痛がするような状況でした。

そうした障害から私を守ってくれるのは総裁しかいないと思っていたのです。

結局、内定が決まっていた会社には『病気」を理由に辞退を申し入れ、最初は反対していた両親にも、最後は何とか納得してもらいました。

ちなみに、婚約指輪は1カラットのダイヤのリング。

値段は80万円でした。


印税は毎週100万円


* * * * *

正式に結婚したのは、88年の4月。

きょう子氏は大学を卒業したばかりだった。

2人は西荻窪の教団事務所の近くに家を借り、新婚生活を始めた。

* * * * *

88年から89年初めにかけての西荻時代は一番楽しかった。

立ち上がったばかりの教団には勢いがあった。

入会の申し込みが相次ぎ、1000人規膜の講演会でも応募者多数で断ることもありました。

試験に通らないと入会できない、というシステムはいかにも総裁らしい考え方でした。

総裁は個人の力とか頭の良さといったものを重要視する人でしたから。

信者獲得実績よりも、試験の成績が重視される。

信者に高学歴の方が多いのは、そうした事情があったのだと思います。

総裁の霊言は自宅で収録していました。

ジャージなどの楽な格好で、大抵、ソファなどに寝転がって行ないます。

横になって精神統一すると、霊が降りてきて喋りだす。

その声を、テーブルの上においたマイクで拾うのです。

で、録音した霊言を事務局の職員が文字に起こして出版する。

あまりに本が出るスピードが速いので、編集の会社の社員が病気で倒れてしまったこともあります。

印税は毎週100万円くらいずつ、現金で「幸福の科学出版」から届けられた。

銀行預金の残高は、見る間に膨れ上がっていき、教団も順調に拡大していった。

困ったことといえば、90年に国税局の査察を受けたことくらいでしょうか。

その少し前に教団のことが写真誌『FOCUS』で取り上げられたので、目を付けられたのかも知れません。

生活自体は、非常に落ち着いたものでした。

総裁の趣味といえば、喫茶店と本屋に行くことくらい。

お酒は弱いので、飲みに出かけることもない。

商社時代、酒場に行くとキツネや蛇の悪霊が見えて嫌だった、と言っていたことがあります。

人の後ろに尻尾が見えたりするのだそうです。

だから酒場ではなく、喫茶店。

総裁は寂しがり屋なので、喫茶店巡りをする時も散歩にでかける時も、いつも私と一緒でした。

この人についていけば幸せになれる。

そう信じて疑いませんでした。

この時点では……。

* * * * *

幸福の科学が宗教法人として認可されたのは、91年3月。

7月には東京ドームに5万人を集め、「御生誕祭」が大々的に催された、

「あなた方が目にしているのは大川隆法であって大川隆法ではない。エルーカンターレである!」。

そう宣言する姿はテレビでも取り上げられ、大いに話題を呼んだがその2カ月後、世に言う「フライデー事件」が起こる。

フライデーの記事に激怒した教団が、電話やファクス、デモによる組織的な抗議行動に打って出たのだ。

信者だった作家・景山民夫氏、女優・小川知子氏などがシュプレヒコールを上げる姿をご記憶の方も多かろう。

* * * * *

記事が出た後、怒った総裁は「これは教団の危機だ。マスコミ戦だ!」と宣言しました。

当時、本部は紀尾井町のビルに移っていたのですが、そこではなく、中野に一棟借りしていたビルに職員を集め、

「皆で抗議しよう!フライデーを3日で廃刊にしよう!」と気勢を上げた。

作戦を立てたのは事務局です。

考えたあげく、最終的に落ち着いたのが電話とファクスによる"攻撃"だった。

原始的なやり方でしたが、当時、コアな信者だけで8000人はいましたから、十分有効な抗議活動になりました。

抗議活動の一番の目的は、フライデーの次の号を止めること。

だから、抗議活動を繰り広げたにもかかわらず、次の週もフライデーが出た時の脱力感はすごくありました。

あれ、3日で廃刊に追い込めるはずじゃなかったの、と。

その後、抗議活動にデモが加わった。

地方の信者は電話とファクス、東京の人たちは白兵戦、というわけです。


資金ショートの危機


* * * * *

こうしたきょう子氏の「告解」について、幸福の科学グループ広報局は次のように回答した。

「総裁がそうした指示を出した事実はなく、捏造記事に公憤を感じた信者有志が自発的に抗議を行なったものです。

(霊言について)職員の守護霊で総裁の悪口を言う者はおりませんし、総裁が職員を責め立てた事実もありません。

なお霊言がイコール総裁の言葉、考えではありません。

(きょう子氏について)改心を促すための宗教的指導を名誉毀損と主張されることに、哀れを感じます。

メディアに自ら露出して全世界の信者を傷つけているのは、残念、気の毒のラインを超えています」

* * * * *

教団側の回答は予想通りですが、私としては、現状に気付いていないあなたたちこそ残念、気の毒だと言いたい。

‥‥話を戻しましょう。

フライデーに噛み付いていた91年は、実は教団内部も混乱していました。

教団は、猛烈な抗議で講談社の電話回線をパンクさせた、笑い話のようですが、実はその裏で教団には、

電話回線がパンクするほどのクレームが寄せられていたのです。

その原因は、出鱈目な伝道(信者獲得)が横行したことです。

総裁が信者100万人を目指せといったものの、そう簡単には集まらない。

そこで職員たちは同窓会名簿や電話帳を丸写しして、どんどん会員登録していったのです。

そこへ教団の雑誌の購読申し込み書を送れば、「入会した覚えはない」というクレームが山と寄せられるのは当然の流れです。

その上この時期、教団は全国に支部を次々と開設していました。

ところが、信者獲得は出鱈目で会員は増えていませんから、教団に入るお金も変わらない。

年末までに100億必要なのに、全く足らない。

このままでは資金ショートする、と教団幹部は真っ青になった。

で、教団が8000人ほどのコアな信者たちに頭を下げて貸付金を募ったのです。

すると、すぐに100億近い金が集まった。

これはやっぱり宗教のすごいところですが、振り返れば、教団の歴史は混乱とドタバタの連続でした。

そして少しずつ歯車が噛みあわなくなっていったのです。

幸福の科学という宗教団体も、私と総裁の夫婦関係も-。 

虚業教団

30年間、教勢拡張と集金だけだったカルト。 今尚、植福と称する布施を搾り取られ続ける信者たち。 教祖一家、その愛人たちは、贅沢三昧の日々を送っているというのに。 人間関係は破壊され、家庭も崩壊。 貢ぎ疲れ、極貧生活を強いられる信者たちの 洗脳解除を祈念し、ここに関谷氏の 「虚業教団」をコピーさせて戴きます。

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