煩悩の発信電波塔、その影響を振り返る

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①ある宇宙人霊言にみる価値の構造


私が霊言集を読んでいて、さすがにおかしいと思い、これは異常だと、信者としてついていくことへの限界を感じだしたのは『レプタリアンの逆襲』でした。

ここに出てくる宇宙人は、要するに「俺はこんなに偉いんだ」ということをひたすら強調していました。

この宇宙人の霊言というのは、教団の職員の潜在意識にある宇宙時代の意識が話しているという設定ですが、上昇志向丸出し、名誉欲、自己顕示欲のあまりの露骨さに、うんざり内容でした。

「こんなものを読まされて、それにお金を払う価値があるのだろうか。読者をバカにしている。」と、本を投げ捨てたい衝動にかられたことを覚えています。

言うまでもなく、これは私がまだ会員だったころの体験です。

教祖の本を捨てたくなったのは、この時がはじめてでした。

もちろん、こういう考えもできます。

「元職員の私が教団で教祖に評価されず冷遇されてきたので、現在高い評価を受けて、教祖の魂のそば近くに宇宙時代にいたという職員を嫉妬したので、そうした気持ちが湧いたのではないか」、と。

そういう可能性も検討する必要はあると思います。

しかしながら、私がこの時感じた違和感を、今冷静に振り返ると、教祖のそば近くにいることを霊格の高さ、存在価値の高さとして競い合う(教祖の立場から見ると弟子を競い合わせる)という価値の構造それ自体が、滑稽に見え始めたように思うのです。

私は信者時代に、まさにそうした価値観にずっぽりと染まっていました。

そして如何に教祖に評価されるか、如何に他の弟子より評価されるかということに、鎬(しのぎ)を削るという心がありました。

それは焦りとなり、嫉妬となり、名誉欲、劣等感などになって揺れていたと思います。

信者以外の人には理解できないことだと思いますが、この価値の構造を受け入れている信者にとっては、そこで与えられる序列は永遠の転生輪廻における自分の価値を決定づける深刻かつ重大な問題なのです。

今なお熱烈信者や職員の方々は、そのような気持ちを持って、苦しんだり喜んだりしておられます。

他の方はともかく、少なくともかつての自分がその価値の構造の中にはまり込んで、その中で落ち込んだり有頂天になっていた姿は、とても滑稽なものであったと考えています。


②賞賛の使い方


これらの霊言集をよく読むと、職員の中にあるという宇宙人の意識が、まず徹底的に教祖を讃えます。

物凄く持ち上げて、教祖が宇宙の根本神であるということを強調します。

そしてこれほど教祖の偉大さを語れるのは、自分がこんなに教祖に近い存在であるからだということを語ります。

それによって、自分がどれほど偉大な存在かということを誇示します。

これを教祖の側から見ると、弟子が過去、どれほど自分に近かったかを語ることで、その職員が教団で占める上位の立場に正当性を与えます。

またその弟子の意識に自分がどれほど偉大かを語らせる(実際は教祖が自分の口から話している)ことで、教祖自らの偉大さを一生懸命に演出しているのです。

「結局これは、教祖が自分を誉めて、偉大さを誇示しているだけじゃないか。」

「教祖と弟子がお互いを賞賛しあって、それを書籍にしているのは、あまりにもグロテスクではないか。」

「教祖の忠義を尽くした弟子はこうして賞賛してもらえるのであるから、弟子はもっと教祖への信仰をもって忠義を尽せと、誘導しているに過ぎないのではないか。それが霊言集の舞台裏ではないのか。」

こういうことが、突然、洗脳されていた自分の目にも少しずつ映り始めました。

それが、その本を読んだ時に私の心に起きたことだったように思います。

そういう見方ができるようになると、それまで教団のなかで躍らせられていた自分が、ひどく滑稽な、ある意味では哀れなものと見えてきました。

なぜなら、私も過去の有名人を守護霊であるといわれて、同じような価値の構造に組み込まれて操られてきたからです。

過去の自分の姿が滑稽に見えてきます。

そして今、同じことを別の形で、さらに大規模に、多くの人を巻き込んでしているのが、この教団です。


③煩悩の発信電波塔


今あらためて客観的に冷静に見ると、こうした霊言集で登場人物が自分自身の力を誇示してみたり、偉さを競ってみたりする姿は、名誉欲、権勢欲を競う煩悩そのものです。

それを煽り立て、弟子や信者の信仰を競わせ、布施を競わせ、忠誠心を競わせるのが教祖の手法です。

重度の自己愛性人格障害でもある教祖は、自らを偉大に見せたいという煩悩にまみれながら、同じ煩悩を周辺にも拡散させ肥大化させていきます。

言うまでもないことですが、こうした霊言集を読んで、それが読者の心の成長を少しでも促すかといえば、そうしたことはあり得ません。

霊だとか宇宙人だとかいう登場人物の割には、話の内容が極めて世俗的な自己賞賛や力の誇示であったり、もしくは敵対する者への罵倒であったり、要するに極めてこの世的な内容です。

高次の霊的バイブレーションがまったくないのは、一読すれば分かります。

読み手の名誉欲、競争心、怒り、そうした煩悩を刺激し拡大させる霊言集は、悟りとは逆の方向へと読者を向かわせます。

私は思うのです。

「教祖は煩悩の発信電波塔である」と。

この教祖の影響を受けると、その人の中にある同種の煩悩が活性化して、膨らんでいきます。

その煩悩をそのまま肥大化させていくと、その人は確実に転落してゆきます。

こうして没落の法則が働きだします。

だから、この教祖の図書は有害図書の指定をするべきだと思います。

もっとも、これは私自身が反省していることですが、教祖の影響を受けて肥大化する煩悩は、もともと自分の中に種子があったものです。

その自分の中の煩悩の種子が、教祖の波動や言論の影響を受けて膨らんでいくにすぎません。

もっとも膨らむことで、自分にそういう煩悩の種子があったことを自覚しやすくなるということはあります。

私はそういう意味で、教祖の影響を自分の成長のエネルギーへと転じてゆきたいと思っています。

虚業教団

30年間、教勢拡張と集金だけだったカルト。 今尚、植福と称する布施を搾り取られ続ける信者たち。 教祖一家、その愛人たちは、贅沢三昧の日々を送っているというのに。 人間関係は破壊され、家庭も崩壊。 貢ぎ疲れ、極貧生活を強いられる信者たちの 洗脳解除を祈念し、ここに関谷氏の 「虚業教団」をコピーさせて戴きます。

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